3姉妹mama diary

3姉妹の子育てがひと段落。子育て中に気づいたことや自分の成長

きっかけ

子育て真っ只中、収入も不安定

余裕の無い毎日を過ごしているとある時

突然、高校の同級生からLINEを通して連絡をもらいました。

結婚式に来てもらって以来それぞれ忙しく会う機会もないまま数年ぶりに会う事になりました。

彼女はパティシエを経てマッサージに興味を持ち

勉強をして、そこから更にこころの世界のことを学び、昔の優しさはそのままでどこか強さを感じる女性に変わってました。

久しぶりに家に来てくれて、話をしていると

私のこころを見透かされてるような不思議な感覚と

怖さも感じました。

話をしているうちに、私がネガティブで全てにおいて心配や不安ばかりに気持ちがいってると教えてくれました。

それは自分でもすぐに納得出来ました。

気持ちの持ち方で物事が良くも悪くもなる事を教えてもらい、初めは半信半疑でしたが案外すんなり聞き入れる事が出来ました。

そこから少しずつ前向きな思考になるように心掛けました。

まだ不安定な時もありますが、以前に比べると

随分ポジティブ思考に変化してきたと思います。

こころの世界の話をされる方のブログを毎日読んだりして、自分なりに気持ちが少しでも安定するようにしていると

運が悪いと思い込んでた自分が、私って実は運がいいのかもと思うようにもなりました。

さらに自分に自信が持てるようになり、

言いたい事も言えるようになってきました。

それでもとても辛い事があるとやはり落ち込んだり不安になったりする事はありますが

以前に比べると気持ちの切り替えが早く出来るようになりました。

私には大きな成長です。

 

 

 

 

母親③

母親との関係を子供が産まれてから考える事が増えました。

母は、明るくいつも元気いっぱいで言いたい事はハッキリ言うし、自分の事も隠さず話す性格です。

だから母の回りにはいつも人が寄ってきて、皆母に何か持って来てくれたりとてもよくしてくれます。

私から見た母は、明るい性格でしたが全てにおいて否定的な言い方をします。

 

子供の頃の私はそんな母と正反対の性格でした。

なので母は私の言う事を勝手に代弁したり、

母の話す勢いに負けて話す事を止めるようになりました。

言いたい事も言えず、自分の気持ちを抑えながら生き辛さを感じ、当然自分の事を好きになれませんでした。

 

ある事をきっかけに

自分の言いたい事をハッキリ言えばいいんだと気づいて、勇気を出して実行したのは45歳ぐらいからです。

やっと今は楽に生きられるようになりました。

そうすると驚く事にどこか母に似てる自分に気付きました。

誰とでも話せる、自分の言いたい事を言える、人付き合いにおいて面倒くさいと思う時は関わらない。

それは自分をとても楽にしてあげられる事でした。

そのきっかけとは…

 

母親②

出産した後、母は数回赤ちゃんをお風呂に入れる為に来てくれました。

お風呂に入れたら自分の用事は終わりと言わんばかりにさっさと帰りました。

初めての子育ての不安もあり、ゆっくり話を聞いて欲しかったけれど、急いで帰ろうとする母に話す気にもなれず

1度だけ何か食べる物を持って来てほしいと言った事がありますが、何がいるの?と聞かれ

なんでもいいから母が作った料理を持って来てもらえるだけで良かったのですが、その時は思い浮かばず、どこか面倒くさそうに見えたのでそれ以上言うのを止めました。

数回で母に通ってもらうのもやめました。

旦那も仕事が忙しくほとんど家に居ないので

1人での子育てがスタートしました。

不安だらけでした。

その不安も自分の中にしまい込みました。

人見知りが激しく、どこへ行ってもずっと泣いてる長女

当然実家に行っても激しく泣くので、だんだんうるさそうにしてる母にも気を使い

実家に居る間気が落ち着きませんでした。

おそらくそんな私の不安や落ちつかない気持ちを長女は敏感に察知していたんだと思います。

 

里帰りしたり、母親と仲良く買い物したりしてる人を見ると本当にうらやましかった。

 

母親

出産をした時を振り返り、私にはとてもやってみたかった事があります。

それは里帰り

実家は車で10分くらいの所にありました。

里帰りをしない理由は、母親との関係があまり良くなかったのです。

私から見る母は人のお世話が好きではないように見えていました。

小さい頃の私の身の回りのお世話は、自営業で家に居る事が多い父が主にしてくれました。

母も自営業を手伝いながら家にずっといました。

けれどお風呂に入れる、夜中トイレに連れて行く、抱っこするのも父でした。

母に抱っこされた記憶は私の中にはありません。

 

子供の事が嫌いな訳でもなく、誰よりも心配し、不便な思いをさせる事はなかったので、ただ愛情表現が乏しかっただけなのかと今は思います。

それでも母親はやはり特別な存在なのか、母親が家に居ない時はどこか不安だったのを覚えています。

 

なんでもハッキリ物を言う母が苦手でした。

言い返せない私はその言葉に何度も傷つきました。

自分の気持ちを抑えて親にはあまり何も言わなくなりました。

学校での心配事や友達との揉め事など全て自分1人で抱えこんでいました。

人の話をじっくり聞いて、私の気持ちを理解してくれて、前向きなアドバイスをしてくれるとは

到底思えませんでした。

今の自分が子供に対してそんな事がうまく出来てるかは分かりませんが、子供の話をちゃんと聞くように心がけています。

忙しくて話がゆっくり聞けない時は、後でゆっくり聞くからちょっと待ってて、と言えばすぐに納得して子供は待ってくれます。

そんな事が出来るのは、母と私の関係から学んだ事なので無駄ではなかったと今ではやっと有難く思えるようになりました。

私の場合、母がお手本になるのではなく

母の行動や態度から自分は違うやり方をしよう

あのやり方では人を傷つけてしまう

という事を教えてもらったと思います。

 

 

 

転機②

突然、知り合いから自営業を続けながら安定した収入が入ってくる仕事に声をかけてもらい

ありがたく受けさせてもらいました。

毎月安定した収入がある事がどれ程ありがたいことか改めて感じていました。

しかし、そんな安定した生活は5年で終わりました。

また大きな転機がやってきました。

今度はそこを辞めて、また独立する。

そこにいる限り、精神的なストレスが絶えず

長く続けるのは無理があると私も気づいていました。

反対するつもりはありませんでしたが、

不安に押しつぶされそうでした。

 

転機

まだまだ厳しい収入状況が続き

私は更に短期バイトにも行き、子供の事との両立に限界もきていました。

ただ毎日をなんとかやり過ごし疲れきって寝て、また次の日も…同じ日々を繰り返し

 

助けてくれる長女、二女、毎日笑顔にさせてくれる三女に支えられ乗り越えてこれたと思います。

 

そんな日々を過ごしていると、ある時旦那に転機が訪れました。

 

仕事②

朝早く仕事に行く事に回りの人は皆

偉いね。私には出来ない。

と言います。

でも、始めから自分で時間になれば学校へ行くように子供に教えておけば

それが習慣として身につきます。

姉妹で協力もしてくれます。

 

1度次女と三女が留守番をしている時、三女がトイレに行き、まだ1人で上手く拭けなくていつもなら私を呼ぶのですが、私がいないので

まだ幼い次女が拭いてあげたそうです。

 

それを聞いて子供達に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

保育園に預ければ良かったのかもしれませんが、その時の状況をいろいろ考え、預ける時間も短い幼稚園に通わせる方を私は選びました。

 

三女が1人になるようになってから、更に心配になりましたが、よく言い聞かせそのまま仕事を続けました。

私が仕事から帰ってくると、幼稚園の服に着替えカバンも背負って待ってる姿がドア越しに見え、何度も胸が熱くなりました。

 

そうして子供達に助けられながら続けたパート。

子供の成長に合わせて時間を長くしたり

気づけば13年

この先も続けていくんだろうなと今は思いながら、

1番に無事に成長してくれた子供達に感謝。

長年続けられたこの仕事にも感謝。

 

 

それでもまだ厳しい収入状況はつづきます。